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太陽の王、光の息子ラムセス2世

古代エジプト史上その名を燦然と輝く大王ラムセス2世!
次のエジプト観光地の記事を書く前に、
私の愛してやまないそのラムセス2世について語りたいと思います
興味がある方どうぞ


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上写真 カルナック神殿のラムセス2世と娘ベントアンタ王女

セティ1世(ラムセス2世の父)

まずはセティ1世から簡単に…
セティ1世は『エジプトのナポレオン』こと『トトメス3世』を尊敬しており、
非常に好戦的なファラオであり、約12年間の在位中にエジプトの栄光を取り戻すべく、
果敢に軍事遠征を繰り返し、トトメス3世には及ばなかったが、
かなりの領土を取り戻すことに成功した偉大なるファラオ


ラムセス2世

偉大なセティ1世の没後、跡を継ぎ、ラムセス2世は22歳で即位。
期限前1270年頃のことです。
古代エジプト史上最大のファラオであり、エジプトの各地の遺跡でその名を残し、
3000年以上の時を越えた今でも、その輝かしい威光を放ち続ける伝説のファラオ。
古代エジプトファラオのなかでも『大王』の称号さえも与えられる人物


カデシュの戦い

どうして、こんなに有名のなのか、まず戦争によって、セティ1世が広げた領土をさらに広げました
中でもラムセス即位5年目のヒットタイトととの戦い、『カデシュの戦い』世界史上でも有名。
ラムセス2世は非常に大柄であり専用の強弓は
王その人以外誰も引くことができなかったと言われる優れた戦士でありました

古代エジプト史上繁栄の絶頂を極めた新王国時代は、周辺各国との戦争の時代です
豊かで恵まれたエジプトは常に外敵に狙われていました
その最大の敵が、北の軍事大国ヒッタイト(現在トルコのアナトリア地方)でした。

カデシュはヒッタイトの誇る難攻不落の要塞で、
ラムセスの父セティ1世さえも攻落を諦めた地でもあります
このカデシュでエジプト軍はヒッタイト軍の策略にはまり、ヒッタイト軍に囲まれ
奇襲を受け、エジプト軍は総崩れし、兵士は逃げ出す始末…
そんな絶対絶命の中、
『ここで負けたらエジプトはヒッタイトの属国になってしまう!そうなってはならない!』
ラムセス2世は自身の信じるアメン神に祈りを捧げ、1人、戦車に乗り
ヒッタイト軍の中へ長刀を振り回し、次々とヒッタイトの兵を切り殺していきました

数千のヒッタイト軍に立ち向かうは、ラムセス2世ただ1人!
しかし、ラムセス2世には、アメン神がのりうつったかのような勢いと気迫と強さ!

ヒッタイト軍は恐れをなし、敗走したという!
ヒッタイト軍を撃退したものの、エジプト軍の被害は膨大だったというが、
このカデシュの戦いの勝利をラムセスは各地の神殿に刻ませ、
国民は歓喜と共にファラオを迎えました

人々は異国の脅威をはねつけた勇敢なファラオを崇拝しました。
エジプトの繁栄と平和を守るのがファラオの使命であり、
歴代ファラオの中で最もその使命を果たしたラムセス2世を、
『ファラオの中のファラオ』神々に祝福された『太陽の王、光の息子』と人々は呼んだのだそうです

このカデシュの戦いの後、エジプトとヒッタイトは世界最古の平和条約が結ばれました

実際のところ、ラムセス2世たった1人で、そんな奇跡のような出来事が起こるとは信じがたい!
エジプト側とヒッタイト側それぞれが自国の勝利を記録したものも残っており、
どちらの国が勝利したのかは、わかりません…

しかし、今現在これほど、光の息子ラムセスと言われ続け、
ラムセス2世と血縁のない古代の王達が、ラムセス3世~ラムセス11世に至るまで、
『ラムセス』と名前につけたほど、尊敬されたラムセス2世
それだけの威厳や、カリスマ性、そして実行力があり、
民に神として愛された王であることは間違いないのだと思います!
そして私は、カデシュの戦いで、奇跡が起きたのだと信じたいと思います!
そのほうが夢があるもの


建築王

カデシュの戦いの後、ラムセス2世は戦争はしなくなり、すごい勢いで
エジプト各地に建造物を作っていきました
カルナック神殿・ルクソール神殿・そして何よりも有名なのがアブシンベルです

現存する古代エジプトの現像物は、ラムセス2世のものが多い
もちろん、ラムセス2世が、多くのものを建てたというのは事実ですが、
さらにそれには理由があります


ラムセス2世は自身の建造物を作るさいに、歴代の王の建造物を壊し、その石材を使って
作った為に、ラムセス2世以前の建造物が少ないという点です
そしてもう1つは、建造物の歴代王の名前を削り取り、自分の名前を刻み込み、
自身の物としてしまったからです!

ラムセス2世は『建築王』でありましたが、非常に顕示欲の強い王でもあったようです

でも私達はラムセス2世のその残された建造物を見るたびに、
ラムセス2世の偉大さ威光を感じずにはいられないのだと思います!


超人的な体力

ラムセス2世の身長は180cm以上という、当時では超人的な体躯を持ち、
治世は67年という長期に渡り、非常に長命で89歳まで生きました
そして、なんと子供は200人以上いたという伝説を持っています!


あまりにもラムセス2世が長生きであったために、ラムセスの王位を継いだのは13番目の息子!
第2王妃イシス・ネフェルトの生んだ、メルエンプタハでした

12番目までの息子はラムセス2世より先になくなってしまったそうです


王妃ネフェルタリ 

ラムセス2世を語るときにはずすことはできないのが、第1王妃であり、最も寵愛された
エジプトの3大美女にもあげられる、王妃ネフェルタリです

ネフェルタリは『美しき女性』を意味します
ネフェルタリはもともとラムセス2世の父、セティ1世の後宮にいた女性で、
セティ1世とラムセス2世が政治の共同統治者に任命したさいに、
譲り渡した女性であったといわれています。

この時ラムセス2世14歳。ネフェルタリ15歳。
ラムセス2世はネフェルタリを容姿の美しさはさることながら、
教養の高さ賢さにも惚れ、第1王妃にしたと言われています。

この時代、軍事力が重視されていただけあり、
女性の地位は他の時代に比べて低く見られていたようです
その中で王妃ネフェルタリは、王の深い寵愛を受け、高い地位と尊敬を受けていました
古代の絵において、ネフェルタリが常にラムセスの付き添いとして描かれていることも、
彼女の王妃としての地位は揺るぎないものであったことが伺えます

現在もラムセス2世のネフェルタリへの寵愛や尊敬を表すものがエジプト各地に残っています
ネフェリタリは40台半ばで亡くなってしまいました、王の寵愛を表すかのような
ネフェルタリの美しいお墓が残っています
ネフェルタリの墓所にはラムセスの詠んだ詩が残っているそうです

「余の愛する者はたゞひとりのみ。何者も余が妃に匹敵する者はなし。生きてあるとき、かの人は至高の美を持つ女人であつた。去りて、しかして余の魂を遙か遠くに奪ひ去りしが故 」

ネフェルタリはラムセスとの地上を越えた愛と、その伝説的な美しさで有名であり、
特にアブシンベルではそれを目の当たりにすることができます!


私はラムセス2世に何故か昔からとても惹かれるものがあります
それは、偉大なファラオでありながら、1人の女性を強く愛し、それをファラオであるがゆえに
愛情を具現化したそんなところに強く惹かれるのかもしれません…
女性なら、そんな深い愛情を示す男性を素敵だと思わずにはいられませんよね^^


ただ、私のラムセス2世のイメージと200人の子供を持ったというラムセス2世は
ちょっと一致しません(笑)

 

by mika14march | 2009-03-03 11:53 | *エジプト
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